張 賀東先生 インタビュー 天地有大美而不言 天地は大美あるも言わず
聞き手:関 浩之
物理の面白さ
Q まず、大学(学部)で物理学を専攻した理由から教えてください。
A 中学校と高校のときは、物理が得意ではなかったです。英語とプログラミングが好きで得意でしたので、大学受験時は、物理との関わりが少ない国際金融およびコンピュータサイエンスを第1、2志望としました。しかし、残念なことに、受かりませんでした。言い訳をさせていただくと、物理の受験時間中にお腹が痛くなってしまい、力を発揮できませんでした。まあ、力を発揮できなかったことも能力のうちですね。。。ところが、志望していなかった浙江大学光学機器学科なら、合格ライン以上でしたので、行きますかと聞かれ、翌日の朝までに結論を出せとも言われました。長い眠れない夜でした。物理との関わりが強い学科に行ってよいか、自信はなかったですが、浪人はしたくなかったです。当時の中国では浪人がとても珍しかったので、他人の同情のまなざしに耐えられる自信はもっとなかったのです。結局、自分の不足を補うチャンスを神様から与えられたと受け止め、物理をもう一度しっかり勉強すると決心し、浙江大学光学機器学科に行くことにしました。大学院のとき、一層高度な知識を習得するため、理学研究科物理専攻の量子力学を選択履修しました。ちんぷんかんぷんでした。そこで、物理専攻の学生に教えてもらえませんかとお願いしました。毎日一緒に自習した結果、テストは90点以上も取れて、びっくりした記憶があります。一緒に自習した物理専攻の学生は、のちに夫になりました。物理との縁がますます深まりましたね。
Q 大学院以降の研究生活はどのように展開しましたか。物理に対する認識に変化があったでしょうか。
A 中学校と高校のときは、試験問題をどう解くかばかりに注目して、教えられた知識や現象の本質をじっくり考えたことは少なかったです。大学の学部も高校の延長のようで、よい成績の獲得を目標としていました。ところが、卒業研究や大学院での研究を実施するにあたって、知識の実践的応用が必須となり、研究で遭遇した様々な問題を解決するためにも、現象の本質をつねに考える必要がありました。そこで、一見関係ない現象でも、実際は本質が同じで、共通の基本原理で解釈できることを経験していましたので、物理は、混沌とした世界に対してものすごくシンプルな見方を教えてくれていることに気づき、大変感動しました。そのときに、中国の哲学者荘子の言葉「天地有大美而不言、四時有明法而不議、万物有成理而不説、聖人者原天地之美、而達万物之理」†をよく思い起こしました。物理の魅力の真髄を大変的確にまとめているとしみじみ思います。ちなみに、ノーベル物理学受賞者の湯川秀樹先生も、荘子のこの言葉に触発されたそうです。大阪大学大学院理学研究科長室に掲げられている額には湯川先生直筆によるその言葉が書かれています。
† 以下のサイトにある金森順次郎先生の記事参照
https://www-yukawa.phys.sci.osaka-u.ac.jp/wpyukawa/wp-content/uploads/2018/11/OU1950-Z2.pdf
Q 涼やかで清爽たる荘子の言葉は万物の真理を語っていますね。さて、先生はご自分の進路を振り返り、その選択は正しかったと思われますか。
A どちらの選択が正しいか、選択の結果を比較できないため、答えられません。ですので、自分の選択を後悔したことはなく、自分の選択をよい結果に結びつけるように努力しようと決めています。朝日新聞の折々のことばに、「人生は死ぬまでのひまつぶし」と紹介されていました。チャレンジして、たくさん経験したほうが人生は楽しいと思いますので、それに伴う挫折と困難は自分を高めるチャンスと捉えるようにしています。
Q パスカル(Pascal)もパンセ(Pensées)で「気晴らし」について繰り返し語っています。人間は弱く命に限りがあるからこそ、一人一人の努力が、かけがえのないものなのだと。
高校生・受験生へのメッセージ:向上心
Q 高校生・受験生へ、先生からメッセージをお願いします。
A 今話題の生成型人工知能ChatGPTに「どうしたら向上心を持ち続けられるか」と尋ねてみました。5つのアドバイスが提示され、その1つ目は、「理想を定め、それを実現するために必要な努力を惜しみなく行うことが大切」とのことです。確かにそのとおりとうなずきました。しかし、理想と現実のギャップを埋めようとする過程で、失敗を繰り返すことが多く、心がだんだん折れていき、その大切であるはずの「必要な努力を惜しみなく行う」ことが難しくなるから、向上心の維持が難しいのではないでしょうか。ですので、「七転び八起きの強い精神力」こそが、向上心を持ち続けるための大切な要素と思います。
それでは、強い精神力はどうすれば得られるのでしょうか?それには、失敗に対する心構えが重要だと思います。研究を進める中で、もちろん失敗が多く、自分は愚かだなあとよく感じます。もっと賢ければ、研究を楽しめるのになあと思ったりしていました。ある日、愚かな自分をどうにかできないかと思い、資料を探してみました。The importance of stupidity in scientific research (M. A. Schwartz, Journal of Cell Science, 121 (2008) 1771) と題したエッセーが見つかり、自分を愚かと思うのは自分だけじゃないと気づき、大変安心しました。冷静に考えてみれば、どんなに賢い人でも、知っていることより、知らないことのほうが圧倒的に多いです。人類の知のフロンティアを開拓する研究活動に対して、だれであれ愚かなはずです。また、所詮他人にはなれませんので、賢い他人を羨むより、自分を進化させ続けたほうが現実的です。そのためには、トレーニングが必須です。身体能力を高める筋トレに類似して、研究は知的能力を高める最高のトレーニングだと思います。今の自分を超えようとしているからこそ、失敗はつきものです。七転び八起きのように、あきらめずに挑戦し続けるからこそ、新しい自分に出会う可能性が生まれ、その可能性を秘めている毎日にわくわくします。
NHKのテレビ番組「ダーウィンが来た!」が好きです。生きものたちが懸命に生きる姿にいつも感動します。明日の自分が今日の自分より良くなるように、日々自分の進化に挑戦し力強くたくましく前進していく人々にエールを送りたいです。
Q 力強いと同時に優しさに溢れたメッセージをありがとうございました。先生のお言葉は、高校生・受験生の心にしっかりと届き、勇気を与えたことと思います。