デジタル社会の実現へ向けて 〜高齢者のためのICT利活用〜
社会情報学専攻 浦田 真由
はじめに
日本は今後,これまで世界が経験したことのない極めて深刻な人口減少・少子高齢化に見舞われると予想されており,一人暮らしや夫婦のみの高齢者世帯が増加する中,高齢者の社会的孤立をいかに防ぐかは,大きな課題となっています。世界的に見ても,日本の高齢化の割合は先進国の中で最も高く,2050年には4割弱にまで達すると推計されていますが,韓国や中国をはじめとするアジア諸国でも同様に,今後は,急速に高齢化が進むと予測されています。
デジタル技術を活用し,日本の様々な社会課題を解決するため,2021年9月に日本のデジタル社会実現の司令塔としてデジタル庁が発足しました。2022年6月には,「デジタル社会の実現に向けた重点計画」が閣議決定され,デジタル庁が「この国の人々の幸福を何よりも優先し、国や地方公共団体、民間事業者等の関係者と連携して社会全体のデジタル化を推進する取組を牽引」していくと期待されている一方,全ての国民が等しくデジタル社会の恩恵を享受できるようにするための“デジタルデバイド対策”が求められています。特に,デジタル弱者である高齢者にとって,情報機器の操作は難しく,多くの自治体や社会福祉協議会等では,高齢者を支援するICT利活用は十分に実現できていないのが現状です。
安田・遠藤・浦田研究室では,長年に渡り,デジタルデバイド解消や高齢者のためのICT利活用に関する研究活動を自治体と連携しながら実践しています。デジタル庁が進める「誰一人取り残されない,人に優しいデジタル化」の実現へ向け,その具体的な実践方法の一例として,当研究室が取り組んできた活動事例をご紹介します。
高齢者の生活支援のためのスマートスピーカー活用
当研究室では,2018年よりスマートスピーカー活用に関する実証実験を行っています。スマートスピーカーとは,対話型の音声操作に対応したAIアシスタントを利用可能なスピーカーのことを指し,日本では“AIスピーカー”とも呼ばれています。スマートスピーカー先進国である米国では,成人4人に1人が所有している一方[1],日本では,所有率は13.3%,その利用率は4.9%となっており[2],米国と比べてあまり普及していません。
新しい情報機器として広まりつつあるスマートスピーカーは,音声操作だけで扱うことができます。そこで,高齢者でも話しかけるだけで操作ができるため,高齢者の生活支援へ向けた情報機器として向いていると仮定し,高齢者の生活を支援するためのスマートスピーカーの活用方法を検討することにしました。
実際に,高齢者を対象とした実証実験を行い,ご自宅にスマートスピーカーを設置して,一定期間活用していただく実験をしました。その中で,高齢者がスマートスピーカーにどのような機能を求め,何を必要としているのか,そして,高齢者の生活をより便利にすることができるのかを確認しました。また,介護予防のための機能として,スマートスピーカー向け口腔機能向上トレーニングアプリや筋トレアプリを開発し(図1),高齢者の日々の生活に取り入れやすくするようにしました。
その結果,分かりやすい発話方法等,丁寧にスマートスピーカーの使い方を指導すれば(図2),2週間程度でスマートスピーカーの操作に慣れることができ,高齢者であっても日常生活で活用することができました。また,高齢者の特徴として,日常の挨拶や雑談相手としてもスマートスピーカーが使用されました。特に独居の高齢者は,自宅にいる時間が長く,話し相手が少なかったため,スマートスピーカーが雑談相手として機能するという結果になりました。被験者さんからも,「新しい発話やアプリを試すことが脳の活性化になり,また時間を持て余すことがなくなった」という意見が得られ,生活支援の一つの手段としてスマートスピーカーが有用であることを確認できました。また,画面付きの機器を用いた,介護予防アプリや見守り機能についても,高齢者やその家族にとって,スマートスピーカーの利便性や有用性を感じてもらうことができました[3]。特に独居の女性高齢者で被験者になっていただいた方には,実証実験後もご自身でスマートスピーカーを購入され,その後もスマートスピーカーの利用を継続された方もおられます。実証実験から2年後に訪問した際も,まるで家族やペットのようにスマートスピーカーのことをお話しされ,スマートスピーカーでの対話を楽しんでいました(図3)。
高齢者の健康づくりのためのスマートスピーカー活用
日本の平均寿命は一貫して延伸し続けています。2022年現在,男性81歳,女性87歳であるのに対し,「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」である健康寿命については,男性72歳,女性74歳となっており,これらの平均寿命と健康寿命の差に10年近くの隔たりが存在しています。今後も健康寿命と平均寿命の差が拡大すれば,医療費や介護給付費の負担も大きくなることが予想されるため,社会保障制度の持続可能性を高めるためにも,国民一人ひとりの健康づくりを通じて,健康寿命を延伸させるとともに高齢者を支えるための社会システムを構築することが急務となっています。
当研究室では,スマートスピーカー活用の実証実験の結果を踏まえ,未来社会創造機構 抗老化グループと連携し,地域社会における健康づくりのためのICT利活用モデルの構築を行い,実証実験を通じてその効果を検証することにしました。抗老化グループでは,高齢者が高齢者を支える循環型社会の構築を目指し,医療全般や運動・食事等の高齢者向け教育プログラムを開発しています。そこで,これらの成果やノウハウを融合させ,地域高齢者へ向けた健康づくりのためのICT利活用モデルを構築し,その効果を検証することにしました。そこで,愛知県豊山町と名古屋大学未来社会創造機構が協働で実施する高齢者向けの生涯学習事業である“健康長寿大学”のコンテンツを活用し,「レシピアプリ」と「栄養バランスチェックアプリ」「健康体操アプリ」の3つのアプリを開発しました(図4)。
「レシピアプリ」では,スマートスピーカーの指示に従って操作することで,簡単に健康長寿大学のレシピやクッキング動画を閲覧することができるようにしました。「栄養バランスチェックアプリ」では,高齢者の日常的 な食事の栄養バランスのスコアを簡易的に診断する機能を実装し,スマートスピーカーによるフィードバックと,足りない栄養素に応じたレシピの推薦を行います。「健康体操アプリ」では,体操の動画コンテンツをスマートスピーカーで簡単に再生できるようにすることで,自宅であっても,好きな時間に高齢者がひとりで適切な介護予防運動をできるようにしました。
実証実験の結果より(図5),スマートスピーカーアプリが高齢者の栄養ケア支援に有用である可能性が示唆されました。特に,多くの被験者から「栄養意識が高まった」「参考になった」という回答を得られたことから,高齢者への栄養意識向上や栄養情報の提供に有用と考えられます。地域コンテンツを活用することによる地域と高齢者の関係性の保持が期待できる可能性や,アプリの話題を通して,被験者同士で減塩相談等の栄養に関するコミュニケーションに繋がった様子もみられました。
介護予防運動においても,多くの被験者がスキルを使いやすいと感じていることからスマートスピーカーによる介護予防運動のコンテンツを提供することは適していることが確認されました。1つの体操時間を短くしたことで,いつでも体操したい時間に実施できるようにした点が評価されました。
専門家からも,高齢者へ手軽にコンテンツを提供できる点や,スマートスピーカーを通して食生活や運動を意識するきっかけづくりが行える点が評価され,地域での見守り活動や地域コミュニティとの連携等,地域一体となった仕組みへの展開が期待できるとの意見が得られました。実際に,現在,郵便局が主体となって地域で取り組んでいるように[4],地域における高齢者へのスマートスピーカー活用の取り組みは今後も盛んになっていくと考えられます。
高齢者の健康意識向上に向けたスマートウォッチの活用
上述したスマートスピーカー活用の事例のように,高齢者の自律的な健康管理を行うためには,健康意識を向上させることが必要です。その解決策の一つとしてICT利活用が挙げられますが,各個人の計測データや医療現場の情報を集約したものをAIに分析させることにより,健康促進や最適治療の提供等多くの恩恵が期待されています。近年,普及が進むスマートウォッチ等のウェアラブル端末は,医療の現場で役立てられるということが示されてはいますが,今後,社会でより広く利用していくためには高齢者への導入支援が必要になると考えられます。
当研究室では,高齢者がウェアラブル端末を利用していくにあたっての課題を明らかにすることと,ウェアラブル端末の利用により高齢者の健康意識が向上するかどうかを明らかにすることを目的にスマートウォッチを用いた実証実験を行っています。様々なスマートウォッチのうち,健康面に重点を置いたスマートウォッチである「Fitbit」シリーズを実験で使用しています。Fitbitは約2時間の充電で約5日間使用することができます。手首に着用することで,歩数・心拍数・消費カロリー・睡眠等のデータを自動記録し,スマートフォンのアプリを利用することで以前の記録との比較や目標を設定することができます。豊山町の健康長寿大学の卒業生を被験者とし,豊山町保健センターで貸し出しにあたっての説明会を実施しました(図6)。Fitbit等の機器を持ち帰って 3 週間,自宅で利用してもらい,1 週間後と 2 週間後にアンケートに回答してもらった他、3 週間の利用終了後にヒアリングを行いました。
アンケート調査やヒアリング調査を通して,スマートウォッチの利用は高齢者の健康意識を向上させることができました。運動量を可視化することや目標の達成状況に関する通知が送られてくることで,運動量が足りていない人にとってはより運動をしようというモチベーションとなりました。また,日頃からよく歩いていた人にとってもそれを継続させようという意識を高める結果となり,もともとの運動量に関係なく運動へのモチベーション向上に繋げることができました。スマートウォッチを継続利用したいという意見に加え,複数の被験者が実際に機器の購入を検討したという結果となり,スマートウォッチが自身の健康へ良い影響を与えることを被験者自身が感じる結果となりました。
また,被験者を増やし,スマートウォッチの利用による高齢者の健康維持に対するモチベーションの変化の有無についても検証しました。この実験では21人の被験者にFitbitのスマートウォッチと体重計の貸し出しを4週間行い,利用開始から2週間を目安に対面での相談会を実施しました。機器の利用に関して,多くの被験者が健康に関するモチベーションが上がったと回答し,健康に関して可視化することを楽しんでいるという意見が得られました。運動に関する機能の他に,睡眠に関する機能についても多くの被験者が興味を寄せ,記録に対するアドバイスの機能が充実するとより活用できそうだという意見が複数人から聞かれました。全体を通じて,スマートウォッチの利用は高齢者の健康意識向上に寄与することを確認することができました。
高齢者のデジタル活用へ向けた担い手の育成
地域で高齢者の見守りや介護予防のためにICTを利活用するためには,地域と行政が一体となり高齢者を支援する担い手が必要となります。高齢者のICT利活用を支える担い手は,高齢者にICTの利活用を推進するだけでなく生活の支援や介護予防の活動につなげていく必要があり,高齢者の支援や地域での支え合いに理解のある人であることが要件となります。
総務省では「誰一人取り残さない」デジタル化に向けた取り組みを進めてきています。具体的には,2020年度から主に高齢者を対象にデジタルリテラシーの向上を目的とする「デジタル活用支援員事業」を推進してきました。このデジタル活用支援員とは地域に根ざした身近な存在として高齢者等の ICT 利活用の相談を受け,学習の支援を行います。
名古屋市北区社会福祉協議会は「総務省令和2年度デジタル活用支援員推進事業 地域実証事業」に採択され,北区役所および当研究室と連携のもと,北区でデジタル活用支援員の育成を実践しました[5]。デジタル活用支援員は,高齢者の支援等,地域の支え合いに理解のある楠西学区のボランティアコーディネーターを選定しました。ボランティアコーディネーターは名古屋市北区社会福祉協議会が推進する支え合い事業のボランティアで,高齢者の買い物や通院の付き添いをする等の困り事を解決する活動を行なっています。高齢者の困りごとの一つとして,デジタル活用も対応いただくことにしました。2020年度は,主に下記の研修会を開催しました(図7)。また,地域でのICT利活用を推進するための市民向け相談会を,4回(2020年10月9日,12月19日,2021年1月28日,3月31日)開催し,地域と連携しながらICT利活用を広めるための活動を行いました(図8)。
担い手育成のための研修会と市民向け相談会
A. 体験会
日時:令和2年9月29日(火)16:00~17:30
対象:楠西学区ボランティアコーディネーター
内容:実際にスマートスピーカー(アレクサ)を体験する。
B. 研修会
日時:令和2年11月13日(金)16:00~17:30
対象:楠西学区ボランティアコーディネーター及び民生委員
内容:ICTとは何か。なぜ必要なのか。アレクサの設定の仕方や使用方法について。
デジタル相談会・体験会の開催
2020〜2021年度の総務省デジタル活用支援員推進事業を踏まえ,デジタル庁では,「デジタル推進委員」を募集し,「デジタル機器・サービスに不慣れな方等に対し,講習会等でデジタル機器・サービスの利用方法等を教える取組のほか,それらの利活用をサポートする取組」を実施しています[6]。デジタルデバイドの解消へ向け,スマホ相談会や講習会等を実施している自治体が増えてきています。
安田・遠藤・浦田研究室でも,2021年のデジタル庁が進める「デジタルの日」をきっかけとして,名古屋市北区・高山市・安城市等でのデジタル相談会を開催しています(図9)。本相談会では,高齢者のデジタル機器利用についての悩み・困りごとを解決すること,また地域で高齢者のデジタル機器支援に関する相談会・体験会を運営する際の体制を検討することを目的としています(図10)。
高齢者等デジタル機器に不慣れな人に対するデジタル化を推進するためには,単発的な相談会のような取り組みだけではなく継続的かつ日常的なサポートができる取り組みが必要となります。研究室では,図書館がそのような機能を持つ場所になるのではないかと想定し,図書館での相談会開催を行ってきています。また,図書館以外の場所として,公民館やコミュニティセンター等の公共施設での対応も想定し,地域で高齢者のデジタル化を継続的に支援する「デジタル支援ボランティア(デジボラ)」の育成や地域での高齢者のICT利活用を支援する体制づくりについて検討しています(図11)。
おわりに
上記のように,安田・遠藤・浦田研究室では,複数の自治体と連携し,高齢者に対する様々なICT利活用に取り組んできました。これらの取り組みが,地域で継続していけるよう,今後も,自治体や福祉関係者,市民団体等との連携を深め,研究期間終了後もICTを活用したい高齢者を支援していける体制を構築する必要があります。デジタル庁が進める「誰一人取り残されない,人に優しいデジタル化」の実現へ向け,地域全体でのデジタルリテラシーを高め,様々な地域課題の解決にICTが活用されていくモデルケースを今後も構築してければと思います。
参考文献
[1] Voicebot.ai & Voicify: U.S. Smart Speaker Consumer Adoption Report 2019, https://voicebot.ai/wp-content/uploads/2019/03/smart_speaker_consumer_adoption_report_2019.pdf, (参照 2022-09-28).
[2] 総務省『平成 30 年度情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査報告書』https://www.soumu.go.jp/main_content/000644168.pdf, (参照 2022-09-28).
[3]浦田真由, 高嶋恵子, 櫃石祥歌, 遠藤守, 安田孝美,高齢者の生活支援のためのスマートスピーカー活用に関する研究,情報文化学会誌 ,27 巻 ( 2 ) ,pp.11 – 18,2021年.
[4] 日本郵便株式会社『地域の高齢者とそのご家族に安心を届ける。自治体とタッグで取り組むスマートスピーカーを活用した郵便局のみまもりサービス』https://www.jpcast.japanpost.jp/2022/06/275.html,(参照 2022-09-28).
[5] 総務省『令和2年度 デジタル活用支援員推進事業 地域実証事業 採択先候補提案概要』https://www.soumu.go.jp/main_content/000693776.pdf, (参照 2022-09-28).
[6] デジタル庁『デジタル推進委員の取組』https://www.digital.go.jp/policies/digital_promotion_staff/, (参照 2022-09-28).