人間と情報
中村泰之(複雑系科学専攻)
はじめに
「サイエンス・ウィズ・情報」(情報味をつけた科学研究)という特集テーマの中で、やや異色かもしれませんが、本稿では、オンライン物理学実験やeラーニングなど、人間の学習をIT技術で支援する取り組みについて紹介します。
新型コロナウイルス感染症による影響で、2020年度の教育・学習の方法は一変しました。教員はデータダイエットを意識しながら、講義のためのオンライン教材の作成に日々追われ、学生は来る日も来る日もPCやタブレットを前にしての講義受講をしていた日々は、つい昨日のことのようでもあり、今となっては懐かしい思いにもなります。現在では、対面講義が多くなりながらも、コロナ以前の教育・学習のスタイルに戻るのではなく、この2年あまりで蓄積した教材と、ノウハウを活用して、新たな教育・学習スタイルを追求していくことも大切になると思われます。この2年で大きく変化したことの一つは、学習管理システム(Learning Management System, LMS)の利用状況です。名古屋大学のLMSであるNUCTの利用は、2020年春学期は83%以上であると報告されており、前年度の44%から大きく伸びています [1]。今後、講義におけるLMSの効果的な活用法について追求していく必要があるでしょう。ただし、2020年に大学ICT推進協議会(AXIES)のICT利活用調査部会が報告した内容によると、講義でのLMSの利用率は「Campus Computing 2013によると米国の導入率100%, 利用率62.0%である」と記載されており[2]、米国でのLMS利活用の先進性が伺われます。そこで、本稿では、これからのLMSの効果的な活用に向けての一例として数式自動採点システムの利用について考察します。また、コロナ禍による影響で、本来実験室で取り組むべき物理学実験をオンラインという環境下で実施された2020年の取り組みの一部を紹介し、オンライン物理学実験の可能性を考えてみたいと思います。
数式自動採点システムの学習データの分析・可視化
LMSは、まさに本稿がテーマとしている「人間の学習をIT技術で支援するもの」として位置付けられますが、その機能は多岐にわたります。お知らせ、コミュニケーション、ディスカッション、教材の配布、オンラインテスト、課題の提出などです。今後、講義におけるLMSの効果的な活用を考えるために、また、人間の学習をIT技術で支援するためには、講義でLMSを利用することで可能になったこと、すなわち、様々な学習データを分析・可視化することにより、学習状況を把握することが出発点になると考えられます。近年注目されている研究分野であるラーニング・アナリティクス(LA)は、緒方によると「情報技術を用いて,教員や学習者からどのような情報を獲得して,どのように分析・フィードバックすれば,どのように学習・教育が促進されるかを研究する分野」[3]と定義されていますので、最終的には学習・教育が促進されることが目標となります。本節では、数式自動採点システムを題材に、学習・教育が促進されることを目指した、学習データの分析・可視化の試みについてご紹介します。
数式自動採点システムとは
数式自動採点システムとは、オンラインテストの機能の一つであり、計算問題などに対して数式で解答を提出し、その正誤を自動評価するものです。現在、世界で主に利用されているものとしては、STACK[4, 5]、Möbius[6]、WeBWorK[7]、Numbas[8]などが挙げられます。ここでは、筆者が日本語化に関わり国内で最も利用者数が多いと考えられるSTACKを例に、数式自動採点システムとはどのようなものかをご紹介します。
例えば、の積分の計算をオンラインテストで課した時、正解以外では、図1(左)のように積分定数を忘れた場合の部分点評価や、図1(右)のように部分積分の符号を間違えた場合などは、不正解であるという評価とともに解説を含むフィードバックを提示することが可能になります。これらは、数式処理システムを用いて実現されており、その機能を利用することにより、様々な誤答に対して適切なフィードバックを提示することも可能です。STACKはLMSの一つであるMoodle[9]のプラグインとして動作しますが、NUCTからもLTI[10]という技術を使って利用することが可能であり、2020年に開講した全学教育科目の「数学入門」の講義で運用していました。
図1.STACKによる計算問題の採点画面
学習データの可視化
LMS上の従来のオンラインテストでは、正誤選択式、多肢選択式、数値入力式、短答入力式などが自動採点の対象でした。そのような形式の問題でも多数の問題を課すことにより、総合的な理解度を測ることは可能かもしれませんが、正誤選択式、多肢選択式では当てずっぽうで正解する場合もあることを考えると、個々の問題を理解しているかどうかについてその問題の正誤結果からのみでは明確なことは言えないでしょう。計算問題などの場合、数式で解答を提出する形式にすればその問題が解消できると期待され、そのような背景の元に生まれてきたのが数式自動採点システムです。数式での解答が可能になると、様々な解答が提出される可能性があり、「なぜこのような計算結果になるのだろう」「どこで躓いたのだろう」といった、多肢選択式では気づかなかった示唆を得ることも期待されます。 例えば、
の不定積分の課題を課し、解答が提出されるたびに正解・不正解の情報のみ与え、学習者は正解するまで何度でも(途中で諦める場合もありますが)解答を提出できるようにします。提示された解答は自動分類されデータとして保存されますので、学習者はどのような誤答を経て正答に到達したのかという理解過程の解明にもつながると考えています。先ほどの積分の問題に対する解答を、正答以外に5種類の誤答に分類し、94人の学生の解答過程を可視化したものが図2になります[11]。横軸に試行番号、縦軸に誤答番号(番号が大きいほど正答とは遠い誤答としています)、奥行き方向に学生の番号を対応させています。誤答1、誤答2を最初に解答した学生は比較的少ない回数で正答に到達していますが、誤答4、誤答5を最初に解答した学生は正答までの試行回数が多く、試行錯誤している様子が窺われます。そのような学生については、個別にサポートすることなども考えられます。
図2.学生の解答過程の可視化例
その他の教育・学習支援
前節の例は、学習者の理解状況を把握するための教授者に対する支援の例でした。その他にも、計算過程を記したノートの提出機能を活用することで、より詳細な学習状況の把握が可能になります。また、数式自動採点システムで困難となる数式入力を支援するツールも開発されており、これは学習者に対する支援になります。これらの機能を活用することにより、LMSによる教育・学習支援のモデルケースが提示されることが望まれます。
オンライン物理学実験
2020年度はコロナ禍の影響によりほとんどの講義がオンラインとなり、それは物理学実験も例外ではありませんでした。森鼻等は「大学が展開する様々な授業の中でも学部1,2 年生を対象とする実験科目は,対面での教育効果が高いと考えられる。特に高校までに十分な実験時間を確保できていない現在の大学生にとって,専門課程に進む前に基礎的な実験知識,技術を身につけることは重要である。」と述べています[12]。本節では、このような重要な位置付けにある実験科目をIT技術でいかに支援したのかについて紹介します。
2020年度春学期の物理学実験(農学部・情報学部クラス)では、8テーマ(「重力加速度」、「磁場中の電子の運動」、「回折格子による光の波長測定」、「放射能の測定」、「オシロスコープ」、「電気回路の共振現象」、「シミュレーション物理」)全てオンラインで実施しましたが、多くが、演示実験の映像や測定器具の写真をもとにデータを読み取り・整理するというもので、自ら手を動かして実験を行うということとはやや離れた内容にならざるを得ませんでした。しかし、その中でも「オシロスコープ」、「電気回路の共振現象」は遠隔操作で実験装置の設定を変えながら、自らデータを収集・整理することのできる実験で、特徴的なものでした。
「オシロスコープ」、「電気回路の共振現象」は、実験室で構築された電気回路の設定を遠隔で操作しながら、実験を行うというものでした。「電気回路の共振現象」について具体的に紹介します。実験室にはあらかじめ、図3に示すように、LCR回路ボックス、任意波形発生器やオシロスコープの機能を持つオールインワン計測器VirtualBench (National Instruments社)を、配線を完了させてリモートデスクトップ・ソフトウェアであるTeamViewerがインストールされたノートPCに接続しておきます。これが、15セット用意されています。学生は遠隔地からTeamViewerを使って実験室の指定されたPCにアクセスし、任意波形発生器を操作し、オシロスコープの波形を読み取りながら、共振周波数を求めるという実験を行います。実験室の実験では机間を巡回しながら15セット分の実験状況を順次確認する必要がありましたが、遠隔実験の場合、15セットを並べて配置することにより、実験状況を比較しながら同時に確認できるため、指導の効率化につながるというメリットがありました。一方で、実験室での実験の際には、学生自ら行っていた配線処理の作業を実施できないなどのデメリットもあることは忘れてはなりません。
図3.「電気回路の共振現象」実験の回路設定図(右はLCR回路ボックスの拡大図)
おわりに
LMSを活用した数式自動採点システムのデータ分析、コロナ禍で試行錯誤の中実施した遠隔操作による物理学実験を題材に、人間の学習をIT技術で支援する取り組みについて紹介しました。いずれも、IT技術が教育・学習の支援につながる面はあるものの、失われるものもあることは事実です。特に教育・学習分野については、そのことを踏まえながら、人間と情報は付き合っていかなければならないのではないかと考えています。
参考文献
[1] 森健策, 「COVID-19とLMS – 大学教育DXのスタートとその先」, 第29回大学等におけるオンライン教育とデジタル変革に関するサイバーシンポジウム「教育機関DXシンポ」(3/26オンライン開催), https://www.nii.ac.jp/event/upload/20210326-06_Mori.pdf, 2021, (2022年11月27日閲覧).
[2] 大学ICT推進協議会ICT 利活用調査部会,「高等教育機関におけるICTの利活用に関する調査研究結果報告書(第2版)」, https://axies.jp/_media/2020/03/2019_axies_ict_survey_v2.1.pdf, 2020, (2022年11月27日閲覧).
[3] 緒方広明, 「ラーニングアナリティクスの研究動向 ─エビデンスに基づく教育の実現に向けて─」, 情報処理, Vol.59, No.9, 2018.
[4] STACK, https://stack-assessment.org/, (2022年11月27日閲覧).
[5] 中村泰之, 「数学eラーニング」, 東京電機大学出版局, 2010. https://www.tdupress.jp/book/b349996.html
[6] https://www.digitaled.com/mobius/, (2022年11月27日閲覧).
[7] https://openwebwork.org/, (2022年11月27日閲覧).
[8] https://numbas.mathcentre.ac.uk/, (2022年11月27日閲覧).
[9] https://moodle.org/, (2022年11月27日閲覧).
[10] https://www.imsglobal.org/activity/learning-tools-interoperability, (2022年11月28日閲覧).
[11] Yasuyuki Nakamura et al., “Analysis of students’ answer process based on STACK answer data”, https://eams.ncl.ac.uk/sessions/2022/analysis-of-students-answer-process-based-on-stack-answer-data/, (2022年11月28日閲覧).
[12] 森鼻久美子他, 「名古屋大学におけるオンラインでの物理学実験の取り組み」, コンピュータ&エデュケーション, Vol. 50, 2021.