政府による情報のコントロールは、情報戦争から我々を守るのか
社会情報学専攻 井原伸浩
はじめに
報道を通じて日々流れてくるロシアのウクライナ侵攻に関するニュースに触れ、その惨状に心を痛めている方も多いと思います。戦争という、国家による究極の権力行使が、我々一般人の生活や人生に与える影響力の大きさに、圧倒されたような気分の方も多いでしょう。国家を含む様々なアクターによる熾烈な「情報戦争」の下、ウクライナ側から流れてくる情報と、ロシア側から流れてくる情報が、あまりに矛盾しすぎていて、何が正しいのかわからなくなってきたという方も、おられるのではないでしょうか。
本稿は、情報戦争から我々の身を守るうえで、国家にどのような役割を期待したらいいのかを考える一試論です。
情報のコントロール
2022年2月24日に開始されたロシアのウクライナ侵攻以後、ロシア政府は以前からなされていた国内における情報のコントロールをさらに強めました。本稿が書かれた2022年9月末、ロシアでは、軍務経験のある予備役を部分動員することが発表され、これを逃れようとする出国者が相次いでいるだとか、動員令への抗議デモが全国に拡大しているといった報道が繰り返されています。それでもウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領の活動を支持すると回答した人々の割合は、(以前よりは下落したとはいえ、)7割以上を占めています[1]。こうした支持率の高さには、様々な要因が考えられますが、情報のコントロールが効果を発揮していることも、そのうちの一つと言えそうです。
ここで想起されるのが、リビッキ(Martin Libicki)の、「城(castle)」と「アゴラ(agora: 集会所、市場、広場の意)」という考え方です。彼はこの比喩を用いて、情報システムは、この2つの間のどこかに位置付けられるという議論をしました。「城」は、国家の重要インフラストラクチャーのように、外来のいかなるアクセスも制限して守ることを意味します。つまり、一切のノイズ耐性もないのが「城」なのですが、これに対し、人が集まる場を意味する「アゴラ」は、ノイズを許容します(むしろ、ノイジーですらあります)。外来者が入り込むことを許容するゆえにセキュリティーは低くなるものの、濃密な交流と学習経験の潜在性があるものを指します[2]。
これを当てはめると、現在のロシア社会は、「城」化が進んでいると言えるでしょう。例えばフリーダムハウス(Freedom House)は、ロシアに自由で独立したメディアがあるかという点について、以下のような厳しい評価を下してきました。すなわち:政府が全国のテレビネットワーク、多くのラジオや印刷媒体、メディア広告市場のほとんどをコントロールしている;その一方で、独立系メディアは、ほとんどがオンラインで運営され、一部は本社を海外に置いている状況である;そのうえ国内に拠点を置くメディアの独立性維持が困難になっている;立法を通じた独立系メディアへの締め付けも強化され、ロシアでの事業を停止せざるを得なくさせたり、多くの著名な独立系メディアが、「外国のエージェント」に指定されたりしている;2020年には新法が施行され、ソーシャルメディアネットワークに対し、「違法な」コンテンツを削除するよう要請し、これができなかったウェブサイトに罰金を科し、「名誉棄損」には実刑判決を下している[3]。これに加え、侵攻開始から間もない2022年3月初め、刑法が改正され、ロシア当局が「フェイクニュース」とみなした軍の活動に関する報道や情報を発信した記者らに、最大15年の禁固刑が科せられることになりました。公の場で「特別軍事行動」を停止する呼びかけをしたり、軍の名誉や信頼を傷つけたりする活動も、ロシアでは禁止されています[4]。これらの規制により、ジャーナリストによるロシアでの取材は困難となり、また、ロシアに住む人々にとって主要なウクライナ問題に関する情報の入手先は、政府がコントロールする国営メディアになったとされます。
言論や表現の自由を守る観点で言えば、大きな問題があるこうした「城」のアプローチですが、上述したプーチンへの支持率の高さに鑑みると、情報戦争を遂行するうえで有利に働いているように見えるかもしれません。逆に「アゴラ」のアプローチは、偽情報の発信・拡散や情報操作といった情報戦争の脅威に、我々を無防備にしすぎるのではないかとお考えになる方もおられるかもしれません。
本稿では、そうした見方への反論となる一つの根拠を提供したいと思います。もちろん、「城」か「アゴラ」かは、二者択一でなく、あくまでどちらにどの程度寄せるかという問題です。また、戦況次第で採用されるアプローチも変わります。しかし、「アゴラ」のアプローチ、すなわち、外部の情報発信者からのアクセスを許容することにも、我々を情報戦争の脅威から守る重要な要素が含まれていることを、ここでは紹介したいと思います。
情報の多い戦争
ロシアがウクライナに侵攻する口実を偽造する、いわゆる「偽旗作戦(false flag operation)」という語が、メディアで頻繁に使用されていたことを覚えておられるでしょうか。これは例えば、ロシアがウクライナ軍や情報機関による攻撃があったと主張したり、化学兵器による偽の/実際の攻撃がなされ、それをジェノサイドや民族浄化と表現したりすることで、「ロシア系住民を守る」侵攻の正当性を主張しようとしているとの指摘です[5]。このように偽旗作戦は、極めて強い情報戦の特徴を有していることが分かります。
この「偽旗作戦」を阻んだのが、米国政府による積極的な情報公開だったという見方があります。米国当局は、2021年末からロシアによるウクライナ侵攻計画について、一部機密も含めて情報公開していました。偽旗作戦についても、米国側は何度もその可能性を指摘し、ロシア側が、そうした計画の否定に追われたほどでした[6]。 実際、例えば侵攻直前の2月17日、国連の安全保障理事会でアントニー・ブリンケン(Antony Blinken)米国務長官は、「ロシア国内でのいわゆる爆弾テロや、集団墓地の発見をでっちあげたり、民間人に対するドローン攻撃を自作自演したり、化学兵器を使った、偽の、場合によっては本物の攻撃」などが考えられると主張しました[7]。 こうした情報発信によってロシアは、それまでの情報戦でのようにシナリオを設定する側に立つのでなく、キャッチアップに回ることを余儀なくされた可能性があります[8]。少なくとも、米国が事前に可能性を指摘していた、生物/化学兵器その他を用いた「ウクライナ側の攻撃」や、それに苦しむロシア系住民の「惨状」を伝えるプロパガンダ動画の拡散等が[9]、侵攻の直接的な契機として用いられることはありませんでした。
ロシアがウクライナに侵攻して2週間後の2022年3月10日、米国上院のインテリジェンス委員会において、米国CIA長官のウィリアムバーンズ(William Burns)は、プーチンは「情報戦争」に敗れようとしているとの考えを示しました。かなり大胆な発言ですが、これはロシアの化学兵器・生物兵器使用による偽旗作戦の可能性に対し、米国が、ウクライナに関するロシアの言い分を先取りして否定したことが功を奏したという主張でした[10]。この偽旗作戦は、あくまで一つの例ですが、いかに米国がウクライナ問題について積極的な情報発信をしていたか伺えます。
前置きが長くなりましたが、こうした米国政府の情報公開は、ロシアによる情報戦に打撃を与える、また、ウクライナによる「アゴラ」のアプローチが奏功した、もう一つの要素を生み出しました。米国の情報公開を受け、大規模紛争が発生する可能性を知ったマスメディア関連企業の、あるいはフリーランスのジャーナリストたちが、実際に侵攻があるのか不確実だったにもかかわらず、世界中からウクライナへ集結したのです。数百人もの規模に膨らんだ彼ら/彼女らは、そこでロシアによる侵攻と、それに伴う様々な現実を世界中に報道することとなりました。それまでウクライナのニュースは、海外支局を持つメディア企業であっても、モスクワ支局がウクライナもカバーして取材するという形態が一般的であり、キーウに駐在する海外メディアの記者は多くなかったと言われています。また、モスクワの特派員たちは、職務を続けるうえでロシア当局の認定を受けねばならないため、必然的にクレムリンのナラティブから影響を受けますし、タブーとされるテーマの回避や自己検閲をせざるを得なかったとも言われています。一方、「アゴラ」であるウクライナに集まっていた数百人ものジャーナリストにそうした制限はなく、 侵攻前から、そしてもちろん侵攻後も、メディア企業やジャーナリストらによる競争のもと、活発な報道を行いました[11]。「情報戦争」の下、何が事実でそうでないかが判然としない状況にあって、こうした報道は、ウクライナの善戦を同国民に確信させ、民間人・民間施設に対する攻撃は行っていないとするロシアの主張に反論する証拠となりました。 また、ロシアによる国際法違反が指摘されると、たちどころにジャーナリストがそこへ向かい、検証することを可能にする土台を生み出したのです。
つまり、ロシアがウクライナに侵攻したとき、そこで待ち構えていたのは、ウクライナの兵士や国民だけでなく、ジャーナリストたちでもあったのです。 その結果、ロシアによるウクライナ侵攻は、極めて豊富な情報量で、世界中の人々の目に触れることとなりました。 もちろん、そうしたジャーナリストたちは、ウクライナ側にとって不都合な情報を流布させることもありますが、ロシアに利する偽情報に反論するために必要となる、膨大な証拠も報道されることになりました。 実際、こうした情報量の豊富さは、例えば、偽情報キャンペーンに対する監視・反論を行うための、オープンソース調査(open source investigation)ないしオシント(Open Source Intelligence)が活発化するうえで、重要な柱となっています。
おわりに
「アゴラ」アプローチは、ウクライナの人々が、ロシアによる偽情報や情報操作のキャンペーンにさらされる可能性を増やしますし、実際、2014年のクリミア併合以降、また、侵攻後も、同国はこれに苦しんできました。しかし、上記の通り、豊富な情報量は、これに反論するために必要な多くの根拠を利用可能にしました。さらに、ウクライナに住む人々も、ソーシャルネットワークサービスを用いて、盛んな情報発信をし、偽情報への反論に貢献したことが知られています。その意味で、「アゴラ」の「ノイジー」な情報環境は、ウクライナの市民に対し、情報戦争から守る手段を提供しただけでなく、偽情報に抵抗するための情報を発信するという、活躍の機会を与えたと言えるのです。
[1]「ロシア プーチン大統領 支持率8割切る 予備役動員への不安か」NHK, 2022年9月29日, https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220929/k10013842611000.html (accessed 30 Sep 2022)
[2] Martin C. Libicki, Conquest in Cyberspace: National Security and Information Warfare. Cambridge University Press, 2007, p.63.
[3] “Russia,” Freedom in the World 2022, Freedom House, https://freedomhouse.org/country/russia/freedom-world/2022 (accessed 30 Sep 2022)
[4] 国末憲人、松尾一郎「ロシア、報道統制を強化:「偽情報の拡散」に刑罰」『朝日新聞』2022年03月06日、朝刊.
[5] 「米、ロシアがウクライナ侵攻の口実準備と非難 「数日中」に実行も」Reuters, 2022年2月18日, https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-idJPKBN2KM2F1 (accessed 12 April 2022)
[6] 「ロシアが「生々しい」映像使った偽旗作戦を計画、米が主張」CNN、2022年2月4日、https://www.cnn.co.jp/usa/35183067.html (accessed 12 April 2022)
[7] 「バイデン氏、「ロシアが侵攻の口実でっちあげを画策」数日中の攻撃もあるとの見方」BBC News Japan, 2022年2月18日, https://www.bbc.com/japanese/60426109 (accessed 13 April 2022)
[8] Bermet Talant, “Russia is losing the information war,” 1 Mar 2022, the interpreter, https://www.lowyinstitute.org/the-interpreter/russia-losing-information-war (accessed 24 March 2022)
[9] 「ウクライナ侵攻の口実映像、ロシアが制作計画 米国防総省暴く」AFPBB News, 2022年2月4日 https://www.afpbb.com/articles/-/3388408 (accessed 13 April 2022)
[10] Open Briefing: Worldwide Threats, 10:00am, 10 March, 2022, Hart 216, https://www.intelligence.senate.gov/hearings/open-hearing-worldwide-threats-2 (accessed 12 April 2022)
[11] Anders Åslund, “Why Vladimir Putin is losing the information war to Ukraine,” Atlantic Council, 6 March 2022, https://www.atlanticcouncil.org/blogs/ukrainealert/why-vladimir-putin-is-losing-the-information-war-to-ukraine/ (accessed 24 March 2022)